■第310日菜根譚から学ぶ現代の人生訓・処世術

おはようございます。昨日は雨から大雪になり横浜でもかなり積もりました。今日も朝をむかえられてほんとうに感謝!それでははりきってはじめましょう。「菜根譚から学ぶ現代の人生訓・処世術」1/15で310回目、あと55日。
三百十. 自分の存在すら忘れる
口語訳要約
悟りの境地に達すれば、琴や笛がなくても心を楽しませ、香や茶はなくても心を清らかに保つことができる。
このような境地に達するにはいっさいの雑念を捨て、分別はおろか自分の存在さえも忘れてしまうことだ。そうなってこそはじめて、悟りの境地に遊ぶことができるのである。
コメント
悟りの境地に遊ぶには雑念を捨て、分別を忘れ、自分の存在さえ忘れてしまと言い切っています。
心をやすらかにして雑念を振り払い、日々瞑想することが必要です。荘子の言う「坐忘」の境地を思い起こさせます。
※坐忘とは・・・自他の区別を忘れ、無心になりきって、自然のリズムとひとつになること
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