■第328日菜根譚から学ぶ現代の人生訓・処世術

おはようございます。そぼ降る雨の土曜日です。暖かい朝です。今日も朝をむかえられてほんとうに感謝!それでははりきってはじめましょう。「菜根譚から学ぶ現代の人生訓・処世術」2/2で328回目、あと37日。
三百二八. ことさらに求めない
口語訳要約
心に忘念がなければ、あらためて心を見つめる必要はない。釈迦の説くような心を見つめる修行はかえって忘念をつのらせるだけである。
万事は根源において一体であるから、あらためて斉同性を問題にする必要はない。
荘子の主張する「万物斉同」の説は本来、一体のものにことさら区別を設けるものだ。
コメント
何事にもとらわれない心が必要です。万物は根源において一体であるということで、「万物斉同」という概念も超越してしまうということなのでしょう。
※忘(亡)念とは・・・迷いの心。執着心。ものごとにとらわれる心
※万物斉同とは・・・人の認識は善悪・是非・美醜・生死など、相対的概念で成り立っているが、これを超越した絶対の無の境地に立てば、対立と差別は消滅し、すべてのものは同じであるとする説
_____________________________________________
忘れずに全て読みたい方、もしくは気づいたときでも毎日、何かしら人生のヒントになりますのでFacebookの「フィード購読」をすると便利です。
http://www.facebook.com/jun2002japan
「フィード購読」というのは、友達にならなくても、個人ページをニュースフィード(ログイン直後の画面)で読むことができる機能です。フィード購読の方法は、画面右上の「フィードを購読」ボタンをクリックするだけで、とっても簡単です。
- 関連記事
-
- ■第329日菜根譚から学ぶ現代の人生訓・処世術
- ■第328日菜根譚から学ぶ現代の人生訓・処世術
- ■第327日菜根譚から学ぶ現代の人生訓・処世術
スポンサーサイト
| 菜根譚から学ぶ人生訓・処世術 | 07:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑